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吉田西小学校々歌とさくらの木
吉田西小学校々歌
1 桜のかげに 誰の絵も
青い大きな 筑波山
野辺より母も 笑みかけて
学びの庭の うららかに
2 柳の風に 誰が声も
明るい師との 交響譜
自主と自由と 責任と
学びの窓の さわやかに
3 蔵王の下に 祖先たちの
薫る歴史を うけついで
揚げよ平和の 日の丸を
我が学び舎の 空高く
この校歌1番に出てくる「さくらの木」について、5年生の子ども達が調べました。このページの一番下にある、「さくらの木の歴史」をクリックすると、御覧頂けます。
2番に出てくる「やなぎの木」については、「大正3年から残るもの」の項を御覧になってください。
現在の校歌の前にも「校歌」があった!
昭和20年度卒業生による文集「続西校の想い出」に次のような歌が出ていました。
「母 校」
作詞 伊澤勝三教諭
作曲 早川美子教諭
1 桜の花にほんのりと
学校の屋根が見えてます
4月うらうらかげろうが
瓦の屋根に立っています
2 青葉のかげにうずもれて
母校の窓が見えてます
誰かカラリと窓明けて
こっちをじっと見ています
3 学校のわきの白い道
昨日午后に通ったら
6年聞いた懐かしい
あのオルガンがなっていた
校歌ができる前(現在の校歌は昭和27年制定)、歌われていたそうです。作詞された伊澤勝三教諭、作曲された早川美子教諭は、戦前に赴任された方々ですので、昭和10〜15年くらいの間に作られたと思われます。
この歌を「発掘」されたのは、昭和20年度卒業生の方々ですが、「発掘」された昭和54年当時、卒業後既に30年以上が経過していて、同窓生も、作られた早川先生も、3番までは思い出せなかったそうです。3番までの歌詞がわかったのは、1人の昭和20年度卒業生のお姉さんが、たまたま覚えていた、ということで、30年ぶりに日の光を浴びることになったそうです。
その時、あらためて作られたテープや譜面も、学校に残っています。
「母校」の替え歌
「母校」の歌詞がわからなかったとき、それならばと、記憶にある「母校」のメロディに合わせて、あらためて「替え歌」を作られた方もいます。卒業生の西校への思いが伝わってきます。当時学校に残っていた3本の木(やなぎ、いとひば、さるすべり)をテーマにしています。
「西校の歌」
1 緑したたる枝たらし
柳が今日もゆれて居る
嵐にめげずすこやかな
広い心を語るように
2 夏の日ざかりさるすべり
いつも楽しき学舎の
子等の歌声ききながら
今日もやさしく咲いています
3 木枯らしの中糸檜葉が
我に倣えよ逞しく
強く生きよと西校の
子等を見つめて立ってます
添付ファイル
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