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学校の移り変わり(1)

東福寺の時代

明治 6年 上坪山の東福寺を仮校舎に開校
        学校名「子来学舎」
        児童数は75名
明治13年 第34番学区し子来学校と改称
明治15年 3月15日、東福寺焼失
        東根と台坪山の仮教室に分かれる
        この火事のため、諸帳簿記録灰燼に
        「子来学舎」の印のみ後に見つかる
明治16年 東福寺境内に新校舎建設
明治20年 公立上坪山学校と改称
明治21年 本吉田尋常小学校上坪山分教室と改称
明治22年 それまでの村が大字となり吉田村誕生
明治25年 吉田尋常小学西校と改称
        児童数146人

現在地に移転

大正 3年 現在地(下坪山959)に新築移転
大正15年 6学級になる
        西校保護者会新設
昭和12年 御真影奉安殿新築
昭和16年 吉田村西国民学校と改称
昭和20年 陸軍西坪山滑走路部隊校舎半分を使用
        勉強よりも農作業中心
        疎開児童転入1学級60人弱
        8月15日終戦
昭和22年 吉田村立西小学校と改称
昭和24年 PTA結成
        西校後援会結成
        給食場新設米軍放出物資で給食開始

      

第1回校庭拡張・2教室新設

昭和25年 第1回校庭拡張(西へ1反歩)
        講和条約 
        国旗掲揚許可
昭和26年 村予算で初めてピアノを買う
昭和27年 ピアノ購入の喜びを記念し、校歌制定
昭和29年 第1回校庭拡張の地に2教室増築
        初めての特別教室、音楽室
        合唱クラブが熱心に活動
昭和30年 薬師寺村と合併、南河内村誕生
        南河内村立吉田西小学校と改称