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「上坪山学校」から「西校」へ

 明治19(1886)年4月10日、「小学校令」が公布され、尋常科と高等科でそれぞれ4年間と定められました。
 それに伴い、校名が「上坪山学校」と改称されました。本校は尋常科のみの学校となりました。

 明治21(1888)年4月25日、「市制・町村制」が公布されました。
 それまでの村は大字となり、吉田村が生まれました。戸長制は廃止され「村長」が誕生しました。 それに伴い、校名が「本吉田尋常小学校上坪山分教室」と改名されました。

 明治23(1890)年10月7日、広域行政が施行され、上記の「小学校令」が改正されました。
 それに伴い、明治25(1892)年、校名が「吉田尋常小学西校」と改称されました。
 本校が通称で「西校(さいこう)」と呼ばれるのは、この当たりにその始まりがありそうです。 当時の児童数は146人で、2学級編成だったそうです。尋常科は4年間だったので、1・2年生と3・4年生の複式授業が採用されたようです。