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初の運動会・修学旅行・学芸会

 大正3(1914)年に、現在地に移転したことにより、校庭も広くなり、「運動会」も開催されるようになったそうです。
 しかし、まだ2年か3年に1回程度だったようです。
 当時、どんな種目が行われたか、残念ながら記録は残っていません。
 
 大正4(1915)年に、初めて「修学旅行」も行われたそうです。
 5、6年生による、一泊二日、日光への旅行だったようです。小金井駅まで列を組んで歩いていきました。初めて汽車に乗る子供もいて、目を丸くして大はしゃぎだったそうです。当時は汽車と言うことで、今より大変時間がかかり、中禅寺湖までは行けなかったようです。日光東照宮を拝観し、翌日、霧降滝を見ただけで帰ってきたそうです。それでも初めてづくしの光景に、子供たちは感激のし通しだったそうです。

 大正12(1923)年ごろに、「学芸会」らしきものも開催されたようです。
 「学芸会」と言っても「唱歌」と「読本」の朗読ぐらいだったそうです。家族の人もあまり見に来なかったようで、各地区へ出掛けて行き、大きな家の座敷を借りて、その地区の子供たちだけで行ったようです。当時のオルガンは小さかったので、公仕さんが背負って会場の家まで運んだそうです。

 当時の子供たちの服装は「縞絣」で、多くは「羽織」を着ていたようです。「はんてん」を着ている子供もいたようです。
 着物は「筒袖」でしたが、大正初期に「元禄袖」が流行し始め、「筒袖」は少なくなったようです。大半は「前掛け」を締めていて、それを「手拭い」代わりに使っていたそうです。

 女の子の髪型は「銀杏返し」で、毎日か一日置きに、母親か姉たちに結ってもらっていたそうです。忙しい時期は、大変なことでした。当時は「大正串」が流行し、皆、喜んで髪に刺していたそうです。
 女の子の遊びは、主に「お手玉」や「おはじき」だったそうです。