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校歌作詞は上野勇一さん
昭和25(1950)年には、待望の校庭拡張が実施(第一次校庭拡張事業)され、西側へ約十アール広がりました。
この事業に対する土地関係者の方やPTA・後援会の役員さん方の努力と苦労は大変なものであったそうです。
昭和26(1951)年には、旧南河内村の予算でピアノが購入されました。
関係者の皆さんは、これを大変喜び、記念事業として校歌の制定の話が持ち上がったそうです。
早速、校歌制定委員会が組織され、準備が進められました。
校歌の作曲は、真岡女子高等学校教諭の鈴木満雄先生に依頼することになりました。
作詞は、地元の方で本校児童(娘さん)の保護者であり、新聞社歌壇選者として有名であった上野勇一さんに依頼することになりました。
上野さんは、旧吉田村の本吉田出身、戦後、同村内の西坪山に開墾に入られたそうです。染色業、農業、新聞販売業などの傍ら、短歌づくりに励まれ、県の歌人クラブの委員長を務めるなど、栃木県の芸術文化の発展に尽力された方です。
【上野勇一さんの略歴】 ・明治44年 旧吉田村本吉田生まれ ・昭和 3年 歌人の半田良平に師事、17歳 ・昭和 4年 旧制足利工業学校卒業 ・昭和22年 下野新聞社歌壇選者担当 ・昭和27年 本校の校歌を作詞、37歳 ・昭和51年 栃木県歌壇総合誌「下野歌人」創刊、 編集長就任、発行所を自宅に置く ・昭和57年 栃木県芸術祭短歌部門選者担当 ・昭和60年 栃木県歌人クラブ委員長就任 ・昭和62年 栃木新聞歌壇選者担当 ・昭和63年 栃木県芸術文化功労賞受賞、 ・ 〃 「時の旅びと」で、第3回下野文学大賞受賞 ・平成21年 死去(享年97歳)
【上野勇一さんの主な歌集】 ・「春思寂唱」 昭和23年 短歌十字路社 ・「南河内」 昭和53年 新星書房 ・「まぼろしの鷹」昭和57年 〃 ・「遠嶺呂」 昭和59年 〃 ・「風と毉」 昭和61年 〃 ・「時の旅びと」 昭和63年 〃 ・「捧げ柿」 平成 5年 短歌新聞社 ・「うしろの正面」平成14年 〃