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校歌作曲は鈴木満雄先生
校歌を作曲された鈴木満雄先生は、田所村(現塩谷町田所)のご出身で、その当時、真岡女子高等学校の音楽の先生をされていたそうです。
昭和27(1952)年2月17日、いよいよ新しい校歌の発表会が行われることになりました。
その日の朝は、大変な大雪だったそうで、鈴木先生は、当初、真岡から自転車で来校される予定だったそうですが、急遽変更。雪模様の中を真岡・下館・小山・小金井と汽車を乗り継ぎ、小金井駅からは、長靴で汗をかきかき、雪をかき分けながら、歩いて本校まで来られたそうです。
当時、真岡高校の1年生だった息子の尚雄さんも、「その話は、父の口から何度も聞かされています。」と、大変懐かしがっておられました。
(息子の尚雄さんは、宇都宮大学教育学部音楽科で後進のご指導されながら、地元の真岡市民交響楽団(1982年設立)の指揮者として20年以上に亘りタクトを振られ、現在、宇都宮大学名誉教授、栃木県の音楽の発展に貢献されています。)
鈴木先生は、その後、栃木県内の小・中・高、様々な校種の校歌を作曲されたそうです。
先生の熱意と愛情が込めらた校歌は、今でも、子供たちによって歌い継がれ、愛唱されています。
【鈴木満雄先生の略歴】 明治43年 田所村(現塩谷町)生まれ 大正11年 栃木師範学校入学(下総 皖一 先生に師事) 大正15年 鹿沼東小赴任 昭和13年 中等学校教諭検定試験合格 昭和14年 真岡高等女学校赴任 昭和25年 「みどりの谷間」作曲(NHKラジオ歌謡) 昭和45年 真岡女子管弦楽部創立 昭和59年 真岡女子高等学校退職 平成13年 死去(享年90歳) 【鈴木満雄先生が作曲された主な校歌】 ・真岡中学校歌(真岡市) ・東沼小学校歌(真岡市) ・富士見小学校歌(宇都宮市) ・黒羽高等学校歌(大田原市) ・粟野高等学校歌(鹿沼市、現鹿沼南高) ・西方小学校歌(栃木市) ・茂木小学校歌(茂木町) など