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活気づく音楽教育

 昭和25(1950)年には、待望の校庭拡張(第一次校庭拡張事業)が実施され、西側へ約十アール広がりました。

 昭和26(1951)年のピアノの購入、そして、昭和27(1952)年の校歌制定以来、一段と音楽教育が活気づいたようです。
 
 児童数が少ないこともあって、特に合唱部には、5、6年女子全員、一人残らず入部し、毎日放課後、太陽が西の山に沈むまで、一生懸命に練習に励んだそうです。

 昭和29(1954)年、4年前に拡張した校庭に木造2教室分を増築、8月に完成、初めて音楽室が設けられました。合唱部が音楽教師の熱烈な指導によって、メキメキと頭角を表すようになったようです。

 昭和30(1955)年の秋、宇河地区音楽祭で、初の優秀賞を獲得しました。学校全体が喜んだそうです。
 子供たちは、「こんな小さな学校の私たちだって、一生懸命やれば、何だって立派にできるんだ。」と大きな自信と希望を得たそうです。

 その後、毎年のように宇河地区音楽祭で入賞し、栃木県中央音楽祭にも出場し、数回にわたり入賞したそうです。